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高明院 |
![]() 岡山市小串2360番地 児島霊場八十七番。 圓城山西光寺高明院は、小串の城山東南麓にあり真言宗御室派の寺院で阿軒陀如来を本尊とする。 寺伝によると、1115年(永久3年)舜永が開基し、1662年(寛文2年)清舜が再建す。 言い伝えによると平安末の永久年間に阿津の宝積院の裏出に建てられたものを戦国時代安芸の国から来た浪人竹原弾正という人が、独建の檀耶寺である高明院という名前の寺を建てようとこの地に移したとあるが、むろん堂宇はそのままにして本尊と寺の名跡だけを移したのであろう。阿津の宮山の南に不動明王を祀る堂がある。この地が高明院の旧跡と伝えられる。この寺が小串の城山に移ったのは近世になってからである。その時新しく三十三観音を開眼、本堂に祀ったというが今にその30体が本尊の後に祀られている。本尊阿弥陀如来のお厨子前仏不動明王と多門天像は、黒々とした香煙のあとをしのばせる室町初期のものである。お厨子の中の阿軒陀如来は秘仏で拝むことはできないが、この前仏から見てもきっと立派なものであろう。 現在の建物は、いずれも寛文の再興以後の建築で本堂は小ぶりながら質の高い三間四方の宝形造りで本瓦葺きの姿が美しく、向拝まわりの彫刻は見事である。 この寺の宝物として残っているものは、新義真言宗の始祖興教大師の筆と伝わる金剛界、胎歳界の両界曼茶羅がある。画面の大きさ幅1.23メートル、長さ1.42メートル。幅1.5メートル、長さ1.15メートルの一対。1714年(正徳4年)に瑞応和尚が表装を修復しており、このときの本願施主は竹原伝左衛門、前記竹原弾正の子孫である。また過去帳に小串丸山城主高畑一族を記す。 なお明治に廃寺となり寺格を失った延寿院の本尊薬師如来像と不動明王像が平成八年に移転されている。とりわけ不動明王像は、浪切不動として信仰を集めたものである。 ( 「ふるさと小串」小串を考える会著 より ) |